わたしのものなんて、ないのかもしれない

本日もさとこのブログに
お越し下さいまして
ありがとうございます🙂



明日は立春で
本格的に2025年へと
切り替わります。

年が明けて
本調子が出なかった方も
まだまだ
これからです😀


仕切りなおして
切り替えて
歩んで行けたらいいですね。





人はひとりでは
生きていけないものです。


人という漢字が
表すように
みんな支え合って
この世界を生きています。


本当に
誰もが
誰かにとって(見知らぬ人にとっても)
かけがえのない人なんだ
と思います。



ブログを書くことが
好きですが

それは
誰かのためというよりは
結局
自分がいちばん
癒やされています。



自分と向き合って
気づいたことって

本当は
「自分だけのもの」では
ないんですよね。


だって
それは
人間関係での出来事や
世の中の出来事や
街の集合意識

仕事や家事をする中で
気付いたこと…

誰かの書いた本や
ブログを読んで
気づいたこと。




そう…

すべては
何かから自分も
影響を受けて
そのうえで
自分の感受性で
表現しているんですよね。


気づきは
さとこにとっては


賜ったもの=賜物

なんです。







気づかせて頂いているんだな
という思いが
最近
よくしています。




もちろん
書いている自分が

楽しくて
勉強になって
ワクワクしながらなんですけど

ひとりでも
読んでくださって
何かを感じてもらえれば

人様に何か
貢献できることに
繋がらないかなあ〜

なんて考えています🙂




自分の経験こそ
神様からのギフトなんだね、

そう思って
自分の実体験を
書いています。

なので自分語りも多くて

一般的には
いいブログとは
言えないかもしれません。


だけど
この経験も
人がいてこそ
賜ったものなので

やはり
循環させたいという思いが
あります。






時に
お相手の抱えている闇を

強烈に照らしてしまって

さとこに対して
嫌いなのか好きなのか
どっちかわからない、という
複雑な感情を抱く人も
今まで
多く現れたことも事実です。


わたしは
意識したことは
ありませんが

人が自分と向き合うことに目覚めさせる
(時に目を背けている人からは反発を買う)
アウェイクナーという

そういうタイプの
ライトワーカーなのかも
しれません。






気づきはわたしが感じたものだけど
本当は
わたしのものでもない。


この世界に
わたしのものなんて
ひとつもなく


すべては
人を通して賜った
ありがたいもの
なのでは
ないでしょうか。



そう思うと

関わって下さった
どんな方にでも



「ありがとう」

と、
そう言いたくなるのです。


全ての生きとし生けるものが、お幸せでありますように!