自己無価値感の押し付け合いをやめよ

本日もさとこのブログに
お越し下さいまして
ありがとうございます🙂




さとこは今
玉石混交の不可思議な日々を
過ごしております。


日々、あふれでる気持ちを
紡ぎきれなくて、
書き殴りのノートばかりが
増えていきます。







誤解がないように
書きますと

母はわたしに
愛や優しさ、保護、
そして与えられるだけの
豊かさを
与えてくれた
大切でかけがえのない存在です。



それなのに、です。

母の
言葉のエネルギーのそこかしこに

比較や支配、不承認
時には
信じられないかもしれませんが

嘲笑のようなものさえ
感じながら
育ってきました。




わたしは
その過保護にも近かったほどの愛情と
さげすみようなものの狭間で
混乱とともに
生きてきました。



幼子心に抱いたその「母親に対する
わけのわからない怒り」は

わたしのその後の人生に
深い影を
落としました。




わたしは
ずっと
母を憎みながら
生きていくことも
できたかもしれません。



だけれど
わたしは
そうしたくありませんでした。







わたしはあるとき
気づきました。

自分には
「わたしなんてダメだ」という
自己無価値感がある。


それはずっと
母親に植えてつけられたんだ
と思って
被害者意識で生きてきた。




だけど
本当にそうなのかな?


本当なのかな?


母はわたしのことを
否定したかもしれないし
本当は
してなかったのかもしれない。



(幼いころは不可避だったけど)


それを
どこかで
「採用」したのは

誰でもない
自分。


他でもない自分なんだ。


だから自分で解除できるんじゃないのかな。




母に未だ
怒りを感じることがあるのは
自分の中で

まだ
母に認めてもらいたい

とか
他者に認めてもらうこと

どこかで
求めている自分がいることを
映し出している。





わたしは
自分のことを

本当に愛せているのかな?


病気になったとき

孤独になったとき

仕事を失ったとき

若さを失ったとき

地位を失ったとき

豊かさを失ったとき


わたしはそれでも
自分に価値があると思えるのかな?



引っかかるところがあるか

ていねいに見ていく。









母も本当は苦しんでいたんでは
なかろうか。


自分でどこかで採用してしまった
「自己無価値感」に。



人は
自己無価値感を感じた時

自分のこころを一時的にも
ラクにするために

人を巧妙に攻撃するようになる。



要するに
人に

自分の無価値感を
押し付けるのである。


その時に
犠牲になりやすいのは

いちばん弱い立場の人です。
(子どもはターゲットになりやすい)





そう。

いちばん優しい人である。
いちばん愛にあふれた人である。



人の価値を奪おうとするのは、
自分に価値があると思いたいから。



それが
ずっと連鎖してきたのが
いまの日本。
(自己愛気質という)

(テレビを騒がせてせるのも、これなのでは)





だけど
断ち切れるのよ!



あなたがそれを採用しなければいい。


わたしは無条件に価値がある。

わたしの価値の決めるのはわたし。



あなたが立ち上がった時から
その矢印は
矛先を変える。



クルッと矛先を変えて

人の価値を奪えないことに
気づいたそのテイカー気質の人達は

徹底的に
自分と向きあうことになるんだよ。



あなたが重荷を背負うことはないんだよ。



自分で解除したらいいだけなんだよ!



解除できない部分は
あなたがまだ
引っかかっているところを
表しています。





病気になったとき

孤独になったとき

仕事を失ったとき

若さを失ったとき

地位を失ったとき

豊かさを失ったとき





あなたはそれでも

自分に価値があると

胸をはって
言えますか?





それが言えるまで

なんども

出来事はやってくるのかも
しれません。



みないふりをすればするほど
それは
やってくる。
(経験済み)



わたしも道半ばですけどね。


だけど
気づいているだけ

まだマシなのよ。






もう
自己無価値感を誰かに

押し付け合う連鎖は

ここで終わりにしよう。



そう思うだけで

エネルギーの搾取は
されなくなる。



本当にそれだけ。


自信を取り戻せ!! 

 

全ての生きとし生けるものが、お幸せでありますように!