鬱と共に生きていく
本日もさとこのブログに
お越し下さいまして
ありがとうございます🙂
昨日あたりから
見えない世界で
めまぐるしくエネルギーが
暴れています。
ようするに
このエネルギーをさとこが
翻訳すると
「変化しまくっている」
そういう見えないものを
敏感に拾っている人って
実は居てるんです。
あなたもそうじゃないかしら?
「鬱は大人のたしなみですよ。
それくらいの感性を持っている人じゃないと
俺は友達になりたくない。」
リリー・フランキーさんのこの言葉に
わたしは
何度、救われた気持ちに
なっただろう。
わたしの病気は完治はしない。
ものごごろついたときから
ずっと
あった。
たまに動けなくなる。
それを
周囲のいわゆる普通の方
からは
「怠けている」と何度も
首をかしげられましたよね。
でもわたしは
いつも心の中では
叫んでいた。
「わたしを否定しないで。
わたしの感じていることを否定しないで。」ってね。
だってここにあるんだもん。
親や病院の先生が
あれこれ言っても
自分の中にこの気持ちが
あるんだから。
わたしはだから
あなたに伝えたいの。
あなたはどんなことを思ってもいいよ。
あなたがあなたの感情を否定したら
その感情は行き場を失うでしょ。
行き場を失った感情ほど
わたしは怖いものは
ないと思います。
病気や不幸の原因です。
だからあなたはどんな事を
思ってもいいんです。
わたしは
これからも
鬱とともに生きていく。
そう自分を受け入れた瞬間から
堂々と
わたしは
こんな彩り深い
鋭い感性を持っているんだ!
わたしにしか
感じられない、
できない表現が
あるんだ!って
自信が溢れてくる。
鬱になって
いちばん苦しかったのは
そのことを恥だと思って
周囲に隠していた頃だった。
親にも友達にも
ましてや
子どもにも言えなかった。
いつも元気そうなふりをしては
誰もいなくなってから
そっと
寝込んだりしてた。
今では
ちょっとしたネタにするくらい
カミングアウトしていますが😅
芸術家とか
天才肌の人って
精神的な病気の人が
多いです。
それだけ
人には見えない世界が
見えています。
感じています。
普通の人が平気なことが
全く平気じゃありません。
人の言葉にならない
感情までも
自分のことのように
感じています。
そういう人を
なにかのレッテルを貼って
どこかに収容したり
個性を押さえつけたりして
人権を無視されてきた歴史も
ありますし
わたしも経験してきました。
わたしは自分がこの体質を持って
生まれてきたことを
充分に活かして
この生を全うしたいと
思っています。
自分が自分らしく
生きられる場所で
自分の花を咲かせたいと
思っています。
わたしは
昨年末に起こった出来事で
「限界突破」しました。
普通の人にとって
当たり前のことができない
わたしにとって
あのパニック状態で
「極限の不安」と
対峙できたことは
わたしの中で
なにかがはじけました。
あれから
わたしは
新しい事に対しての
思いが劇的に変化しました。
わたしは
なんにもできない人だと
自分で思っていましたが
わたしは
なんでもやるときには
できるし
できなくても素晴らしいと
思うんです。
あなたもそうですよ。
あなたもできます。
なんでもできます。
ましてや
ハンディもないのなら
なんでもできますよ。
さとこが言うんですから
本当です。
ハンディあっても
幸せに生きられます。
あなたがちゃんと自分の感じていることを
感じてあげて
O.k出してあげれるなら
そこからすべて
変わります。
わたしは
今年は
少し社会復帰してみようかなと
思って
今、活動しています。
来週も一本面接あるわ。
この前のお仕事は
落ちちゃった☺️
でもあたらしい事に挑戦するって
すごく楽しいよ。
自分で収入を得られたら
やりたいことがあるんだ〜🎶
旦那さんは
お金も出すから
すぐやればいいよ
って言ってくれてるんだけど
このことに関しては
鬱を抱えながらも
社会復帰してみたい、って
それから
やりたいなって
何故かそう思う。
あ、でもやりたくないことは
しないから
やりたい!って心から
思った仕事にだけしか
応募しません。
それが
今年に入ってから
立て続けに
そういうものに
出会っていて
UFOも見るし
なんか面白い一年になりそうです!!😆
みなさんも
色んなこと
抱えていらっしゃると
思いますが
それでも
負けずに
共に生きましょうね。
全ての生きとし生けるものが、お幸せでありますように!
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