「あなたのため」に潜むもの





本日もさとこのブログに
お越し下さいまして
ありがとうございます🙂




母との関係を
癒し続けてきたわたしが

最近よく感じることがあります。



わたしはとても
のんびりした子供でした。


幼稚園に行く時間になっても
テレビを見ていたり
考え事をしていたり

ちょっと
ボーっとしたところのある子で

しっかりものの
姉と比べては、
母は、ずいぶんと
ヤキモキして

よく
「早く」「急いで」と
言っていたように思います。




そんな母が
よくわたしに対して
していたことは


先回りして、あれこれ
わたしの
世話を焼くことでした。



たとえば
幼稚園に行っている年齢で
しっかり歩けるのにも
関わらず

「歩くのが遅いから」
という理由で

無理やり
ベビーカーに乗せたりしました。


わたしは
小さいベビーカーに乗せられて
とても恥ずかしく
自分を情けなく思ったりしました。


小さい頃のわたしは
まだ、なにもわからず

それを素直に受け入れて
何でも
してもらうことが
多かったと思います。




しかし
次第にわたしも
成長して

なんでも自分でできるように
なりました。



しかしです。



母はいつまで経っても
わたしの世話をやめませんでした。

いつも
さとこのことを

さとこが自分で思う以上に
将来に
過剰な心配をして

なにかにつけて
口出しをしてきたり
先回りをしては
手をだしてきたりしました。



そういうことを
うっとうしいと
思う前に

わたしもどこか
無意識的に
依存的になっていき
(甘えている部分もあったんです)

そんな自分は
いつもどこか
自信がなくって
とても
弱々しかったと思います。





そんなわたしも
好きな人ができて
結婚して実家を出て
しばらくして気づいたのです。



実家にいないときは
元気にしっかりと
生活できるのに


たまに
実家に帰った時や
母が自宅を訪問してきた時に
必ず、と言って

なぜか妙に
元気が無くなり
やる気がなくなり
不安になるのです。

そしてその分
母は
わたしのエネルギーを
どんどん吸い取っていくように
過剰に元気になっていくのです。



こんなこと
言っては
叱られるかもしれませんが

まるで
エネルギーバンパイアのように…

です💦


(今はそういうことは、なくなりました。
わたしが許可しなくなったので)





母はもともと世話好きな
タイプで
面倒見がとても
いいところは
長所だとは思います。



しかし
誰かの世話をしている時にだけ
まるで
人が変わったように
とても「元気」になるのです。


誰かの世話をしている自分に
母は
自分の価値を見出していたんだろう、と

今の
わたしには
わかるのです。




そして
そうやって
自己犠牲を美徳のように
嬉々としてする母から


「さとこは、母がいないと、なにもできない」

という潜在意識下の
負の感情を感じて

エネルギーが漏れていたのです。





わたしにも
娘がいて

実は
同じようなことを
していたときも
ありました。



しかし
娘は
わたしがヘルプすることで

どんどん
力を無くしていくように
なりました。



そして
母がわたしに対して
やめなかった
ヘルプを

わたしは母を反面教師として

娘に対しては
キッパリやめたのです。









「あなたのため」は本当ですか?


「あなたのため」は実は
自分のためではないですか?



そういう自己犠牲は
相手の力を根こそぎ奪うのです。



それは
きれいなベールをかぶった
「あなたには、どうせできない」という
「他者否定」だからです。




本当に相手のことを
思うなら

相手の好きなように
させることです。



それは
「あなたなら、必ずできる」という

他者肯定だからです。






今は
母と娘とは

わたしなりに

健全な関係を築けるように
なりました。




精神的な自立が
果たせたのです。





自分の中の
「無価値感」と向きあうのは

自分の心の問題であって

誰かの世話をすることで
「その無価値感」を満たす行為は

自分と向き合っていないが
ゆえに
起こります。
(自分もそうだったから、わかるのです)






自分と向き合う中で


わたしは母に
明け渡していた
自分のパワーを
取り戻したのです。



そして
娘のパワーを
奪うことも

やめることが
できるようになったのです。














全ての生きとし生けるものが、お幸せでありますように











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