光が濃いと影も濃いのは、人の心も同じ
本日もさとこのブログに
お越し下さいまして
ありがとうございます🙂
突然ですが
劣等感が強い人は
実は
優越感も強いんですよね。
「わたしなんて、全然ダメだ…」
って思っておきながら
自分よりもっと
できない(ように見える)人を見つけたら
どこかで
安心したり、ホッとしたり
するところ…
わたしにも
そんな感情
ありました。
人と比べていると
この
優越感と劣等感を
行ったり来たりしてしまいます。
この話と通ずるところが
あると思うんですが
「愛しさあまって、憎さ百倍」
という言葉があります。
これは
かわいがっている者に対して
その度合が強ければ強いほど、
いったん憎い、となると
その憎しみも並大抵のものでは
なくなることを
いいます。
なにが言いたいか、というと
光が強いと影は強い
ってことなんです。
光を感じられる
繊細なこころを持った人。
そういう微細なこころの機微を
感じられる心優しい人は
人一倍、影のような感情も
味わうことになるんです。
これはもう
それだけ
人より
多彩な感情を味わえる
いわば
「才能」なんですよね。
なのでその分
その影の部分と
きちっと向きあうように
なると
ものすごく苦しいです。
ものすごく
優しく感受性の高く
なおかつ
逃避行動をしない
芯の強い方は
この影の部分と
もろに
向き合っていきます。
だいたい途中で
体かこころに
負担がかかり過ぎて
力尽きて
病気という試練が
起こりがちで
そういったときに
「一瞥体験」とか
「覚醒体験」をします。
(わたしにも起こりました)
ここで
自分の
光の部分と影の部分を
「統合」していくわけです。
統合というと
難しいですが
要は
「どんな感情も、それでいいと思うこと」
なんです。
もっと簡単に言うと
「ありのままの自分を愛する」って
いうことです。
わたしは一時期
母と娘のことでとても苦しい思いを
しました。
わたしの中にある
見ないようにしてきた
「憎しみ」の感情に
真っ向から対峙して
いっとき
その感情を感じると
パニック発作が出てしまい
息がまともに
できない状態になりました。
それらを抑圧していた分だけ
出てきたときは
そのあまりにも
激しい怒りで
心身を壊しました。
しかし
ちゃんとその感情があることを
しっかり
見つめていくことは
一時的には
地獄のようでも
徐々に
根雪が溶けていくように
こころが軽くなっていきました。
あれから数年経って
わたしは
いま
どれほど
母と娘を愛しているのかを
感じる日々を
送っています。
ですが
以前のように
感情を抑圧することもなく
母や娘に対して
実にフラットで
良い加減。
今回
娘や母を置いて
こちら東京に来ることも
きちっと
親子の線を引けるように
なったからできることで
罪悪感や自己犠牲のままでは
来ることは
できなかったと思います。
優しくて真面目な方ほど
自分の影の感情を抑圧しがちです。
それは
あってもいいのです。
感情にいいも悪いもないんです。
影の感情を感じられるということは
それだけ
光も強いんです。
全部そこにあってもいいんです。
色鉛筆には
暗い色も普通に入っています。
ただあるだけです。
それに対して
抑圧すると
その影の感情は行場をなくして
今度は心身を蝕むようになるのです。
それも
そういうメッセージですから
病気もひとつの
「自分を愛する」ために
起こっている部分もあるんです。
光があれば影もある。
だけど
ぜんぶそこにあってもいいと
思えると
どんどん
ニュートラルポジションで
フラットになる。
どちらも
包み込む
実に統合された
心持ちで
いられるようになるのですね。
全ての生きとし生けるものが、お幸せでありますように
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