見下され不安を知っていますか?





本日もさとこのブログに
お越し下さいまして
ありがとうございます😃




突然ですが

インナーチャイルドが
傷ついている人は

その人が悪いわけでは
ありません。



今日はそのことを
ふまえて
読んでいただければ、と
思います。




インナーチャイルドの傷は

いろんな不運な状況が
重なりあってしまって

「トラウマ」のような
PTSD(心的外傷後ストレス障害)
のようなもので

まだまっさらで
純粋だった幼い自分のこころに
強烈に辛かった体験として

こころに刻まれているがゆえに

大人になってからも
大きな
影響が残っています。





(わたしは初めて書きますが
顔と心理的に傷が残るトラウマと
親きょうだい間で問題
がありました。)






それですね、

インナーチャイルドが傷ついている人は
とても多いのですが、
その特徴として
とても不安を抱えやすいんです。





インナーチャイルドの件で
発信されている人も
いまとても多くて

よく取り上げらているのが
「見捨てられ不安」というものです。


(その内容はこちらでは
割愛します)





あまり知られては
いないのですが


わたしが注目しているのが




「見下され不安」
というものです。








それは

他人から見下されることを
恐れている人のことです。



周りの人に

「できないヤツ」

「無能なヤツ」と思われないように

常に気を張っていて

「自分が誰かと比べて、優れていること」に

強い執着心を抱きます。




そして

自分が見下されるのを恐れながら

心の中では

誰かのことを見下していたりします。



さらに

人から評価されたい

賞賛されたいという
欲求が強いのも特徴的です。




実は
引きこもりがちの人の多くは

この
「見下され不安」が強くて

人と関わることを
避けることが

原因だとも言われているんです。




そういう方は
なにも悪いわけではなく

ご自身の大切な尊厳を
傷つけられるような
壮絶な経験を

過去されていると
思います。





小さい子供は
よく失敗をしますが

そのときに

両親や周りの人が
どんな表情や言葉をかけたか…



笑ったり、からかったり
バカにしたり
激しく叱ったり
責めたりしなかったか、




そういうことで

繊細で柔らかい子どものこころは
思いがけず
深く深く
傷ついているものなんです。



そんな子供は

もう二度とそんな思いをしたくないので

自分に完璧を強います。


ですが
完璧など誰にもできるはずもなく

少しの失敗や挫折で

人から見下されたような
幼い頃の傷がうずき

とても落ち込んだり
焦ったりするようになるんです。








わたしは
この見下され不安は


強弱はあれど
ほとんどの人が
多かれ少なかれ
持っていると
感じていますし


人と比べて落ち込む方は

そういう傷がうずくために

いつも不安定で

人の一挙手一動によって
気分が変わりやすく

優越感と劣等感を
行ったり来たりして

揺れ動いているのです。









「優越感は劣等感の裏返し」といいますね。

いつも
完璧そうで

自信満々に見えるひとほど

こころの中では
劣等感がいっぱいで

その裏返しで

「完璧っぽい」雰囲気を出そうと
しているのかもしれません。






とても繊細で
傷つきやすいのは

結局
よくよく見てみると

プライドの高さから来ているのです。



しかし同時に
人間って
みんなプライドは高いと
思います。



誰だって
バカにされたり
見下されたりするのは
嫌です。


自分のことを
大切に思うことは
普通のことです。


それは
まだ幼い子供も
まったく同じです。


その人間としての
プライドを
ズタズタにされたことで

脆弱な部分ができてしまうのです。










じゃあ、どうすればいいんかい?


とお思いでしょう笑




わたしの経験からいきますと

完璧を求めすぎて

精神的な病気になったことが
ひとつのきっかけになりました。





普通の生活すらできなくなった
「無能な自分」を見つめた時
その段になってはじめて


不必要に高い
プライドが
木っ端微塵になりました。




もう人からどう思われてもいい

バカにされてもいい

見下されてもいい




病気になって
はじめて
そう本気で
思えたのです。





なぜでしょうか。


なぜそう思えたのでしょうか。




それは

「愛を下さい」と
誰かに求めるのをやめて


それは
自分が自分にしてあげることだよ、と



こころのやまいが
気づかせてくれたからです。




さとこは
病気になる前までは

がんばって
がんばって
ハリボテの自分は
完璧そうに見えたと思います。



でもこころのなかは
いつも満たされず

劣等感でいっぱいで

人のことが
気になって
仕方なかったです。



ですが

完璧さを剥ぎ取られて

「こんな自分でも愛せるかい?」って
病気は聞いてきたのです。


(「NO」と言えば
あとは
あの世しかありませんでした。)






たしかに

親から
自分の求めるかたちで

愛をもらえなかった、
拒否されたことは、
とっても
苦しかったです。





ですが

条件付きの愛を強いていたのは自分で

無条件の愛を
自分に向けた時


複雑な困難達は
淡雪のごとく

溶けていったのです。




自信とは
なにかができるから
持つものではなくて


また
誰かからもらうものでもなく


なにもできなくても
本当は
自分自身で
持てるものだったと
気づいたのです。



本当はそれは
親が教えられるのが
いちばんですが



親や育った境遇から

ちゃんと

「卒業」するのは

自分ですることなんです。






厳しい話ですし

自分も病気になるまでは

どうすればいいか
まったくわかりませんでした。



自分を愛するということは

ほんとうに

シンプルだけど
奥が深いです。



わたしのこころのやまいは
じつは
小さい頃から
あったものです。


ですが
急性期的にひどくなったのは

親子の問題で
母とも娘ともうまくいかなかった
苦しかった時期でした。







きっと
この難病は

この部分で

わたしに伝えたい大切なことが

いっぱい詰まった

神様からの大切なお手紙だった

と思います。





自分のことを
無条件に愛して下さい。



できない自分

無能な自分


失敗する自分


それらを愛せた時




人を見下す必要も
見下される心配からも



解放されるのです。










全ての生きとし生けるものが、お幸せでありますように