自分の裁きで自分が裁かれる



本日もさとこのブログに
お越し下さいまして
ありがとうございます😃



暑いけど
暑いってなんか楽しいね。


毎年そう思うんだ。


きっとさとこは
冬より夏が好きなんだ。


抜けるような色の
きれいな青空に
いろんな形のモクモクの入道雲。


休憩時に飲む冷たい氷の音。

夏野菜やスイカのビビットなカラー。

ノースリーブやサンダルのゆるい感じ。

こころも明るく軽くなっていく。



だから夏は好きなの。


あ、でも無理は禁物。

冷房をうまく使って下さいね。








自分の親をずっとゆるせなくて
でも
それを直視できなくて
いい子、良い親をやっていたとき


自分の思春期の娘とうまくいかず
猛烈に批判され
とことん
嫌われた。



なんでこんな目にあうんだろう?って

わたしは親ばかりでなく
子供ともうまくやれないサイテーなやつ…

って

あのとき、
挫折感と自己否定で
いっぱいだった。






で、あるとき
それって
結局つまりは

自分が誰かを裁くことっていうのは
そのまま
ひっくり返って
自分が裁かれるってことに

忽然と
気付いたの。



自分の裁きで自分が裁かれている。




宇宙には主語がなくて
自分が出したものがそのまま
自分に返ってくる。



自分が出したエネルギーは
そのまま自分に対するエネルギーになる。


宇宙には
他人なんて存在しなくて

ほんとうは他人は
自分で

自分が誰かにすることは
自分に対する態度で

なんかそういうことが
痛いくらい分かってしまって

だけど
どこからそれを
変えればいいのか

あのときの
わたしにはわからなかった。





親に直接対決して
自分の思いを伝えたことも
あった。



それはちょっとした
修羅場となって



それは
言って良かったな、と思う部分も
あったけれど

言ってしまった後悔の方が
なぜか込み上がってきてしまって

わたしは
余計に苦しくなって
その後
精神科のお世話になった。








わたしは
ある時
こらえきれなくなって、


親や家族に対する気持ちを
紙に
ぜんぶ吐き出した。


来る日も来る日も
暇さえあれば
書いていた。


今から思えば
ちょっと怖…な絵面だけどさ…(笑)


そして

それにひたすら
丸をつけた。


真っ赤な花マルをつけた。



小学校のときに先生からもらった
あの花マル。




どんなことを思ってもいいよ。

それでいい。

あなたはあなたを感じるために
生まれてきたんた。


あなたが感じることには
良いも悪いもないんだ。


あなたがあなたの思いを感じないで
だれがそれを
感じるの?


それがあなたが生きる意味だよ!



そうやって
渾身の力で
真っ赤な真っ赤な
花マルをつけた。





ここに書けない罵詈雑言や暴言。




だけど丸をつけていくうちに
いつの間にか
そういう罵詈雑言が減って

感謝のことばや
いたわりのことばが

途中に交じるようになった。






ありのまんまの自分の気持ちに
花マルをつけるのは

誰かが判定するのでもなく

自分が自分に
まっさきに
やってあげることだった。




そうやって
不器用ながらも

自分の気持ちを
自分で受け止めはじめたときから

いろんなことが
少しずつ少しずつ
行きつ戻りつしながら
変わってきたの。






カンタンに書けば

自分が愛を感じれば
自分の世界にも愛が
あふれてくる。


出したものが受け取るもの。


実にシンプルだ。




カンタンに書くとそうけど
はっきり言うと
カンタンではないと
ちょっと意地悪に言っておくね。



言葉で書いてしまうと
どうしてもカンタンに
薄っぺらくなるものだ。


わかっていても
できないときも
今だにあるんだから
カンタンなんてとても言えやしない。






でも
どんなことを思ってもいいと
思えてから

すごくラクになったよ。


すごくすごくラクになった。



そんなにきれいに生きなくてもいいって

きたないもの隠さなくていいんだって

隠すから苦しくなる。



ちゃんと見れば
きたないものなんてひとつもなかった。


どの感情も

大切な自分の気持ちなんだと
愛すべき自分の宇宙なんだと


気づいていく。








全ての生きとし生けるものが、お幸せでありますように






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