6は母なる数字
自分のインナーチャイルドと
否応なしに
いちばん向き合わされるのは
「母親」だと思っている。
それは
子供を産み、育てるということほど
自分の生い立ちを強烈になぞることは
他にないからだ。
子供はみな
「完全な母なる愛」を無意識に
求めているのだと思う。
しかし
人間として生まれた以上、
この世では
完璧な母親など存在しない。
現に
自分もそうだし
実の母を含め
義理の母にせよ
私の知り合いにせよ
自分の子育てを振り返っては
悲しみ
涙する母親が
たくさんいることを
わたしは多くの経験から知っている。
また子供は子供の方で
自分の親への
愛と憎しみに苦しんでいることも
自分を含め
娘を通してからも
わたしは
知っているのである。
母であることは
子育てで
真にすばらしい体験もするが
母であるということの
「底しれぬ悲しみ」も体験するのである。
そうやって母親になった人は
喜びと悲しみを経験し
自分の霊性を磨くことを
決めてきているのである。
どんな人でも
母親からうまれた。
胎児をお腹に宿した
その神秘と奇跡を
体で十月十日感じ
出産で
「いのち」を分ける経験を
ありありとする。
母親がいないければ
この世界は成り立たないし
誰も存在できない。
それは
女性の方が優位であるという話でもなく
子供を持たない人を否定することでもなく
我々の根源の
もっとも奥深いテーマであると思う。
なぜ
神様は女性にだけそのような
機能と体をお与えになったのだろうか。
わたしは
創造主は女性で
母親であるだろうと
思っている。
わたしは
6月6日にこの世に生を受けた。
6という数字は
お母さんが胎児をお腹に宿す形を
表しており
母性を象徴する愛の数字である。
その数字が表すように
わたしは
自分の母との間と
自分の娘との間で
壮絶な経験をしている。
母親というものを
子と親の両面で
体験する中で
真に自分を愛することと
真の愛とは何か
について学ぶ人生を
今現在も
懸命に生きている。
完璧な母親を求め苦しみ
完璧な母親になれない自分を責め
やっと
不完全な自分を愛することが
できたと思っても
やはりそれでも
「母親」というものについて
考え
答えを
追い求める人生である。
そうだがしかし
自分は
「母親」というものを通して
本当は
神を追い求めているのだと
そんな風にも思うのである。
全ての生きとし生けるものが、お幸せでありますように
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