鬼は自分の中にいる
人の心のなかには鬼がいます。
鬼と言って
あまりピンとこない場合は
「悪しき思い」とでも表現したら
良いでしょうか。
さとこは
愚かですし
聖人君子でもありません。
人に嫉妬したり
批判したりしたくなることも
普通にある普通の人です。
ですが
自分の鬼に足をすくわれて
闇落ちした経験があるので
それ以来
よく自分を観察しています。
鬼は例えるならば
ほこりのような存在です。
毎日掃除をしているつもりでも
いつの間にか
溜まっていく、あのほこり。
どこからやってきたのか
わからないくせに
しっかり存在しているほこり。
そして
見て見ぬふりをしていると
しっかりとそれに覆われ
たまると、とても厄介なほこり。
ある日、ふと気づくと
愕然とするくらい
汚れている…。
それと全く同じことが
こころの中にも
起こっているのです。
悪しき思いは
いつの間にか
こころを覆っていることが
あります。
気がつけば
真っ黒になっている。
自分では
真っ白のつもりでも
自覚的にほこりを
はらっていかないと
誰でも気が付かないうちに
そうなるんです。
だから
今、自分のこころの中は
どうかな?って
見つめること。
見つけたら
その人なりの方法で
祓うこと。
それが浄化です。
それは自分で見つけていくしか
方法はありません。
さとこは
毎日、浄化をやっているつもりでも
ほこりは
実にこころの「小さな隙間」を
狙ってやってきます。
なので
本気でこころをお掃除しようと
思ったら
「暇」がないくらいです。
(ストイックな人は)
さとこは
自分の大切な人の幸せを祈ることは
よくやりますが
自分に今まで
嫌な思いをさせてきた方々
自分を痛めつけてきた方々の
幸せも祈ります。
思わず嫉妬や憤怒しそうになっても
その御方のますますの幸せを
とりあえず
形だけでもいいので
お祈りします。
最初は抵抗があるかもしれません。
ですが
慣れてくると
いつの間にか
こころの底から
祈ることができている自分を見つけて
驚くことがあります。
そうすると
太陽の光がさしてくるように
こころがピカピカに輝きだしてきて
ほこりは
次第にはらわれていきます。
そして
なにより
実際の行動も変わります。
信じられないかもしれませんが
あんなに苦手だった人に対して
「感謝」できるようになります。
そうすると
不思議なことなんですけど
その相手のお方は
どんどん変わっていかれます。
まるで別人になったかのように
なられます。
それは
自分のこころが
変わったからです。
相手のせい
世間のせい
政治のせい
親のせい
さとこは
さんざんそれをやってきました。
なにも変わりませんでした。
ただ自分が苦しくなるだけでした。
誰かのせいにしているうちは
そうです。
なにもだから全て
あなたのせいとは
言っておりません。
ですが
外側にはなにもないのです。
全ては
自分のこころの中にありました。
外側を少し覗くと
政治にしかり
世の中の仕組みにしかり
疑問に思うことは
あります。
必要な声をあげていくことも
大切ですし
さとこもやっています。
ですが
個人のこころの中の鬼が
居座っているままで
それだけをやっても
なにも変わらないと思います。
自分のこころのくもりを
浄化させて行く人が増えたら
世の中はみるみるうちに
変わると思います。
実に小さなことです。
自分だけ
自分の方が
そういう鬼は
いとも簡単に現れます。
ほこりのように
気が付かないように
そーっとやってきます。
道を歩いていても
電車に乗っていても
買い物していても
友人や家族と接していても
意識的になってみると
よくわかります。
少なくとも
さとこは
愚かなので
そうなります。
ですが
気が付かないより
気がついているひとは
実は
悟っているのです。
鬼はいてもいいんです。
ですが
鬼を見つけたら
祓うこと。
これを習慣にすると
人生は変わるんです。
全ての生きとし生けるものが、お幸せでありますように
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