スピリチュアルエゴ
風の時代が始まって
最近はスピリチュアルが
流行っているそうです。
スピリチュアルを使って
なにをしたいの?と
思うようなものに
触れることがある。
わたしの方が悟っている…
わたしのほうが真理をついている…
わたしのほうが良い事を言っている…
わたしが…わたしが…
この、わたしのほうが…
なんとなくそういう匂いのするものが
嫌で
けれど、それに気づく自分にも
そういうところが
あるんじゃあるまいか、とか
いろんなことが
わずらわしくなって
ここに場所をうつしてきた。
「自分はこう思う。」
「自分はこう感じた。」
そこにいいも悪いもない。
なにを思ってもいいし
どうあってもいい。
自分も人も
一人一宇宙。
いかに悟っているかを
誰かといつの間にやら
比べること自体
悟りとはほど遠いのかもしれない。
いかに宇宙の真理をことを
うまく説明できたって
それを
体現できていないのなら
机上の空論になる。
まったく
発信などしていない
田舎のおじいちゃんや
都会の無口な
普通のサラリーマンの方が
よほど
悟っていたりする。
悟りは
受験勉強ではないのだ。
生きること
ひとつひとつの体験こそが
誰にとっても
ものすごく尊くて
スピリチュアルそのものである。
みんなみんな神様で
みんなシャーマンで
生きることは祈りそのもの。
全ての生きとし生けるものが、お幸せでありますように
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